第3回 「学校は社会を映しだす鏡」

第3回 「学校は社会を映しだす鏡」
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 2023年の春にイタリアで留学生活を始めて間もない頃、ボローニャ大学の教員養成講座で出合ったのが、「学校は社会を映しだす鏡」という言葉だった。学校の姿というのは社会の縮図そのものだということだ。続けて教えられたのは、「学校インクルージョンと社会的インクルージョンに違いはない」という言葉だった。これは裏を返せば、学校が分離された社会であるとしたら、社会自体もおのずと分離された社会になる、ということになるだろう。

 イタリアでは、とりわけ子どもたちが幼い段階では、学校というのは彼らが勉強をする場である以前に社会的な場であり、人間形成のための経験を積む場であると考えられている。一方、日本はどうだろうか。例えばPISA(OECDが実施する15歳の生徒を対象とした国際学習到達度調査)の報告を見ると、そこにはイタリアと日本との教育観の違いが如実に表れている。

 最新の22年の調査結果を見ると、日本は世界で科学的リテラシーが2位、読解力が3位、数学的リテラシーが5位となっている。それに対して、イタリアは3分野の中で最も順位の高い読解力が、ようやく20位に顔を出す程度である。こうしたデータからは、日本の学校ではPISAのテスト結果に反映されるようないわゆる「学力」が重要視されていることが分かる。

 仮に学校教育を通じて学力だけが身に付けばよいというのであれば、ある意味では学習塾のように能力別にクラスを編成して同質性の高い学習集団を作り、教師が大集団に対して一方向的な授業を行うのがより効率的だと言えるだろう。学校教育に底流するこうした「学力」の過大視、これが日本の分離教育を支え続けている論理であり、その結果として生じているのが、昨今の特別支援学級や特別支援学校の増加という現象である。

 多様な子どもたちが通常の学校で学ぶ「フルインクルーシブの教育」を実践しているイタリアでは、教師が生徒集団に一方向的に知識や技能を教え込むのではなく、生徒同士が4~5人ほどの小グループを作り、互いに学び合う協同学習のスタイルに重きが置かれている。クラスに在籍する子どもたちが、人間関係を築きながら互いに学び合い、一人の社会的な人間として成長していくことが目指されているからである。

 日本におけるインクルーシブ教育の推進を巡っては、そうした目標の達成と同時に「教育とは何か」「学校とはどのような場か」「学校教育を通じてどのような社会づくりを目指すのか」といった根源的な問いへの返答が突き付けられている。

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