第3回 教育をする意味とは

第3回 教育をする意味とは
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 ある大学生が「教育とはなんであるか」について意見を聞きたいとフリースクールを訪問してくれたことがありました。不登校になる背景やフリースクールでの子どもたちの過ごし方を伝えた後、質問を受けました。「フリースクールでは学校のような『教育』は行われていないということですね」と。その学生さんにとっての教育とは何かを聞いてみると「学校の授業でやる数学とか」との答えが返ってきたので「私にとって教育とは、初めての出会いを一緒に楽しむことです」と伝えました。

 教育とは何であるかの前に、教育を施した結果としてどんな未来を期待しているのかを語らねばなりません。私は教育を享受した子どもたちに、「社会はこんなにも面白いのか」と感じてもらいたいと思っています。「え?Wi-Fiってそういう仕組みだったの?」とか「あの道に生えているよく見る花ってそんなところから来ていたんだ」とか「会社の中ってこんなに大勢の役割の人がいるんだね」とか、そんなふうに身の回りのさまざまなことに興味関心を持ち、ワクワクしながら触れてほしいのです。

 「世の中の全てに対して」とは言いません。たった一つでもいいのです。その人が「これは面白い!」と目を輝かせて、寝食を忘れて熱中できるくらい楽しいことを見つけたら、それはもうその人の幸せそのものだと思うのです。

 現在の教育は教える側の大人がいて、教える内容も決まっています。本来答えがないはずの道徳ですら、大人が考える答えに導こうとすることもあります。「これをやりなさい」「これが正解です」というのは教育なのでしょうか。子どもたちが溢れんばかりの問いを持てるようなきっかけをつくること、そしてそれに自分から前のめりになって突き進んでいくことのできる環境を整えることこそが教育の本質だと私は思っています。

 人は幸せになるために生まれてきています。とはいえ、皆さんも容易に想像がつくかと思いますが、「今が幸せだ」と胸を張って言える人はそう多くありません。では、もう一つ頭の中でイメージしてみてください。皆さんが子どもの頃、何にも縛られずに一つのことに夢中になったあの頃の景色を。あの瞬間こそ、幸せそのものだったのではないでしょうか。

 その時間を過ごした結果、何が得られたかと問われて、明確に回答できる人はほとんどいないと思います。でも、それはその時間に価値がないということではなく、夢中になる時間そのものが幸福の源泉なのだということではないでしょうか。

 そうした時間をどれだけ人生の中で多く持つことができるか。そして、そのときに隣で一緒にわくわくできる仲間がいれば、何十倍にもその感覚は増幅します。「好きなことだけやっていても、将来自立できないよね」「社会は好きなことだけで生きていけるほど甘くない」なんて声が聞こえてきそうです。次回は、その問いにお答えしたいと思います。

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