第4回 自立とはなんぞや

第4回 自立とはなんぞや
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 よく保護者の方から「この子は学校に行かないで将来自立できるのでしょうか」と相談を受けます。その子のことを思うからこその心配する気持ちです。自然なことだと思います。一方で私はその相談を受けるたびに、頭の中にはてなマークがたくさん浮かぶのです。「本当に不登校を経験すると自立できないのだろうか」と。

 一般的にイメージされる「自立」の一例としてあえて出しますが、不登校を経験していた方でも、社会に出て働いて、結婚をし、子どもがいる方がたくさんいます。こうして考えるに「不登校になると自立ができない」と言うのは正しくないと思うのです。

 不登校経験者のうちどのくらいの人が働くようになり、どのくらいの人が引きこもるようになるのか、数字を言える方はそう多くないでしょう。あくまでイメージで、そうした想像がされているのです。ネット社会ではネガティブな情報の方が出回りやすいので、そうしたネガティブな印象をより強めてしまっていると思います。

 そもそも自立とは何かということについても考える必要があります。ある学校の生徒だよりには、「自分でできることは自分でやろう」とありました。この文字を読んだ子どもたちが想像するのは「できる限り周りを頼らず自分一人で頑張ろう」ということです。

 もし私だったら、「困ったら周りにどんどん頼ろう」と書きます。日本社会においては、失敗は悪とされ、何か問題が起こると誰が悪いかと責任追及を始めます。休むこと、辞めることも悪いこととされ、頑張ることや諦めないことばかりが評価されます。私はもっともっと楽にしたらいいと思っています。

 失敗したら反省して次の成功につなげばいいし、頑張るためにも休むことを大事にした方がいい。続ける以上に辞めることの方が大切なタイミングだってある。何か問題が起きたら、周りでフォローすればいいんです。もっと自分が楽をするために、人に頼ればいいと思っています。楽をするというのは悪いことではありません。力の入れどころを理解し、自分だからこそできることに注力できるということです。

 お互いに得手不得手があるのは当然なので、その凸凹をフォローし合えばいいのです。「一人で頑張ろう」ではなく「お互いを頼ろう」の方が絶対に楽です。私にとっての「自立」は、大勢の人が周りで支えてくれていることです。前で手を引っ張ってくれる人、後ろで背中を支えてくれる人、隣で「一緒に歩こう」と言ってくれる人、少し遠くで声援を送ってくれる人、時々現れて「疲れたら一緒に休もうね」と言ってくれる人、そんな大勢の人のおかげで「自分の足で立つ」が実現できています。私は一人で頑張ることが当たり前の社会より、お互いがお互いを頼れる社会の方が幸せ度はずっとずっと高いと思うのです。

 不登校の始まりは、一人で歩けなくなり、倒れ込んだ瞬間です。息も絶え絶え、喉もからから、足もふらふらの中、一人頑張って走ってきて倒れ込んだ瞬間、それが不登校なのだと思っています。だから子どもたちに必要なのは「頑張れ!」ではなく「頼ってね」「休もうね」というメッセージだと私は思っています。

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