第7回 地域の学校に通う自閉症の生徒とクラスメート

第7回 地域の学校に通う自閉症の生徒とクラスメート
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 1年のイタリア滞在中3カ月ほどの間、自宅アパートがあったボローニャから1時間ほど列車に揺られて、サンタルカンジェロ・ディ・ロマーニャという町の美しい広場にある小学校に通った。そこで出会ったのが、イタリアの小学校では最高学年に当たる5年生のクラスに在籍する自閉症のGさんだった。中度知的障害のある生徒だったので、日本の教育制度であれば特別支援学校に通うことになる可能性の高いケースと言えた。

 授業の様子を観察すると、支援教師あるいは教育士に付き添われて、Gさんは全ての授業にクラスメートと一緒に参加していた。授業の内容によっては、彼には難易度が高過ぎることもあった。そうした場合は、支援者が授業内容を簡略化して示したり、それでも難しいときには授業内容に沿った別の課題を用意したりしていた。

 その学校では、年末からクラス全員が協力して取り組む演劇プロジェクトが始まった。外部講師を招き、全15回分もの授業が割り当てられた一大イベントだった。もちろん、Gさんにも役割が用意されていた。演技指導が始まる準備段階で分担されたのは、衣装づくりのための材料リストの作成とその買い出し役だった。Gさんの「個別教育計画」に目を通すと、彼とクラスメートとの間により良い相互関係を築くための数々の工夫や配慮が設けられていた。この演劇プロジェクトは、クラスにインクルーシブな学習環境を構築するための重要な方策の一つに位置付けられていた。

 ある日の昼食後、クラスメートと嬉々として中庭を走りまわるGさんの姿を遠目に追い掛けていた。障害児だけが通う支援学校の教員である私には、普段は目にしない光景だった。傍らで子どもたちを見守っていた支援教師に聞くと、「小学校に入学したての頃、Gさんは言葉をほとんど発せず、自分の世界に閉じこもりがちだった。それが今では、特定のクラスメートとの場合が多いが自発的に関わりを持つようになってきた」ということだった。

 イタリアの学校では、教育の継続性を重視して、クラス替えも担任の入れ替えもしないのが一般的である。私が目にしたのは、小学校の5年間という長い年月をかけてクラスの子どもたちが共に育んできた関係性の結晶だったのだ。多様な子どもたち同士のあるべき関わり合いという点から言えば、日本の分離した教育システムは、子どもたちが互いに成長し合うための掛け替えのない可能性を奪っていはしないか。目の前の子どもたちのこうした人間関係こそが、いずれ真の共生社会をつくり上げる礎になるのではないか。走り周る子どもたちのほほ笑ましい姿を眺めながら、私はそんなことばかり考えていた。

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