第10回 学校依存なこの社会

第10回 学校依存なこの社会
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 私は大勢の不登校の子どもたちや親御さん、それに関わる大人とコミュニケーションを取ってきて、この社会は学校依存にあると強く感じています。学校という文化は元々「寺子屋」から始まっています。寺子屋は19世紀に入ってから急増しました。何十万年という歴史において、まだたったの200年程度です。

 つまり、学校的な文化がない中で、私たちはここまで発展をしてきたわけです。「そんな歴史の話をしたって…」と言う方もいるかもしれませんが、学校という学び場がなくともさまざまな発明がなされ、人類が続いてきているのは事実です。

 不登校に関する話をすると必ず出てくるのが「子どもたちは学校に行かず自立できるのか」という疑問です。先述した通り、歴史を見れば答えは明らかですが、そう話しても、多くの人は「でもやっぱり」と心の中で思い続けます。

 これは私たち人間という種族が、どれだけ自分自身の経験則をもとに価値判断をしているかを示してもいます。私たちのほとんどが学校教育を受け、今こうして生活しています。逆に言うと、学校教育を受けない生き方を知らないのです。

人は知らないこと、分からないことに不安を抱く生き物です。それは自分を守る本能的な心の動きでもあり、そう簡単にあらがえることではありません。つまり、現代の人は本能的に「不登校になると自立できないのでは」と疑問を抱くようになっているのです。

 ここで考えなければならないことがあります。私たちが生きてきた数十年と、子どもたちが生きるこの先の数十年は同じなのだろうか、と。昔は人とコミュニケーションを取る手段が「会う」しかありませんでした。今は電話を使うことすら減り、チャットが主流です。地球の反対側の人と会話をするために飛行機のチケットを取る必要はなく、情報を調べるために図書館へ行く必要はなく、手元のスマホでなんでもできます。

 ふと学校教育に視点を戻すと、この多様性の時代に下着の色や髪の長さなどのチェックに時間を割いています。漢字ドリルで何度も同じ文字を書くこと、教科書に書かれた語句を覚えることに力を入れ、スマホがあれば10秒で調べられる情報を暗記することに重点が置かれています。一方で学校教育が終わり、就職すれば急に「自分で考え、行動すること」が求められます。

 本当に現代の学校教育は子どもたちのためになっているのでしょうか。実は不登校ということを通して、子どもたちはこの疑問を社会に投げ掛けてくれているのではないかと感じています。変わるべきは子どもではなく、私たち大人です。大人が価値観をアップデートしていくことが、いわゆる「不登校問題」の解決には不可欠なのです。(おわり)

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