第3回では、皆さんに「知っていること」と「理解していること」の違いについて質問しました。「小学1年生の『季節』を例に考えてみてください」と投げ掛けたところで、前回は終わってしまいました。
皆さんもお気付きのように、「知っている」状態をつくることは、そんなに難しくありません。だって、教えてしまえばいいのですから。「日本には4つの季節があります。春・夏・秋・冬です」と提示して、何回か繰り返し唱えれば、「季節」について「知っている」教室が出来上がることでしょう。でも、これは「季節」が何かを理解していること、ましてや自分で理解をつくりだしたことからは程遠い状態です。
そうではなく、「『季節』って何だろう?」「『季節』を自分の言葉で説明するとしたら、なんて言うかな?」などと、一緒に考えていくことが「理解していること」につながります。もちろん、小学1年生でも、すでに「季節」について説明できる子もいるでしょう。そういう子たちには、さらに深く広く考えてもらいます。例えば、「春・夏・秋・冬の違いは何だろう?」と聞けば、子どもはそれぞれの特徴を整理することができます。そして、「じゃあ、同じことは何だろう?」と問い掛けることで、本当の意味で自ら概念的理解を構築していくことへとステップアップしていきます。当然のことながら、このときに自然の中での十分な体験や遊びが重要になってくることは言うまでもありません。
「知っている」と思っていた先にまだまだ自分の知らない世界が広がっているのだと気が付くことは、とてもわくわくすることです。また、「季節」が何かが分からなかった子たちにとっては、自分の身の回りの世界を説明する語彙(ごい)を一つ手に入れたことになります。しかも、それは誰かによって教えられたことではなく、自分自身でつかみ取ったものです。そういうことが、本来の学びなのだと子どもたちは体験を通して理解していきます。
概念について学ぶ、概念を通して学ぶということは、探究の営みそのものだと私は思います。ある言葉(概念)について、「これってどういう意味だろう?」と考えていくことに、何か大きなプロジェクトを成し遂げたり、重要な社会的問題についてリサーチしたりするような派手さは全くありません。とても地味な活動に見えるかもしれませんが、そうした活動の積み重ねこそが、子どもたちの大きな力になっていくのだと実感しています。