子どもたちの困難さは話題になりますが、先生たちの困難さはあまり深い議論の対象になっていないのではないかと思います。もちろん、以前よりも働き方改革は進んでいます。教員の労働時間を正確に把握し、過労を防ぐためにタイムカードを導入して出退勤時間を記録する学校が増えています。また、部活動の指導時間を短縮したり、通知表の回数を減らしたりするなど、事務作業の軽減に取り組んでいる学校もあります。さらには教員以外のスタッフを雇用し、事務作業や部活動指導をサポートすることで、教員が授業に集中できる環境を整える努力も見られます。当然、ICTの活用により業務効率を向上させる取り組みも進められています。
しかし、こうした改善が進められているにもかかわらず、教員志望者が増えたという話は聞きません。むしろ、どの学校に行っても「大変だ」という声があふれています。もしかしたら、働き方改革が教職の魅力向上に結び付いていないのではないでしょうか。
興味深い情報があります。ある町で、不登校児童生徒の家族100人ほどが集まり、これからの教育について語り合うイベントがありました。そこには子どもたちも参加しており、次のようなことが語られました。
「何事も決め付けられるのが嫌」
「統一感があって気持ち悪い」
「学校で勉強しているのに、家でも宿題をやらなくてはならない」
「何かと物事が速く進む」
「給食の時間が短い」
「頑張っているのに、さらに頑張らされる」
「学習進度が違うのに、みんな一緒に学ばされる」
「中学のテストの順位付けが嫌」
「休み時間が短い」
これら学校への不満に加え、「先生の当たり外れが激しい」「怒られてばかりいる」「女子に対しては優しいが、男子には厳しい」「先生がうざい」「先生が偉そう」といった教師への不満も聞かれました。
こうした発言を聞くと、子どもたちがずいぶんと勝手なことを言っているように思えるかもしれません。しかし、わが国では自分に自信が持てない子どもの割合が高く、その背景には親とのつながりの希薄さや、親の愛情が受け取りにくくなっている問題があります。そうして子どもたちが、自分のことを肯定できずに苦しんでいるのです。
エネルギー不足の子どもたちをエネルギー不足の教師たちが指導するという構造ができており、それが学校全体の疲弊感や閉塞(へいそく)感につながっている可能性があるのです。