今、学校現場ではブラックなイメージを払拭するかのように、働き方改革が進められています。しかし、それが教職の魅力回復に寄与しているのでしょうか。ある学校では、管理職が「早く帰りましょう」と毎日のように促し、ある学校では「毎週〇曜日は定時退勤の日」と定め、超過勤務の削減に努めていると聞きます。時には、各教員の勤務時間表が張り出されて、「○○先生、もう少し早く帰れませんか?」などと声が掛かるようです。
また、家庭訪問が希望制の個人懇談になったり、かつては教員がかなりの時間をかけて作成していた通知表の所見欄のスペースそのものが小さくなったりしています。コロナ禍をきっかけに、運動会が半日になったところもあります。運動会が縮小されたことに伴い、事前指導も縮小されました。こうして見ると、確かに教員の負担は減っているようです。
しかし、こうした改革によって教員が早く帰れるようになったかというと、そうでもないようです。そもそも仕事の総量が多いので、いくらか減っても、発生した隙間の時間に他の仕事が入り込んでくるとのことです。書類の山がいくつもある状態で、ある山が減っても隣の山から雪崩のように書類が落ちてきて、わずかばかりの隙間が埋まってしまい、大勢に変化はない…といった状況なのです。
運動会もかつてはそれなりに時間をかけて練習をして、当日も1日かけて開催していたわけですから、教員も子どもも一定の思い入れをもって臨んでいたことでしょう。しかし、時間が短くなり、競争も緩和され、盛り上がりとは縁遠い「こなすための行事」になってしまっている側面もあるようです。
また、教員の負担減として期待された小学校の教科担任制ですが、学級がうまくいっていない先生にとっては負担減となるでしょうが、うまくいっている先生にとっては、しんどいクラスに出向くことになり、負担増になっている可能性があります。
現在の働き方改革は、時短に象徴されるように負担軽減と効率化ばかりが優先され、教員の充実感の創出には寄与していないのではないでしょうか。教員のモチベーション向上は、外的な報酬よりも仕事そのものに対する満足感、仕事における自己決定性が重視されることがこれまでの研究で分かっています。私生活が脅かされるほどの長時間勤務は誰も歓迎しないでしょうが、教員のモチベーションはわずかばかりの業務の軽減や給与の増加などでは、向上しないのです。管理職や行政主導で、教員のやりがいの保障に寄与しない形ばかりの働き方改革を推し進めることは、あまりにも教員を馬鹿にしているように思えます。
子どもと触れ合い、子どもの成長に立ち会う時間を保障するための改革をしなくては、真の働き方改革とは言えないのではないでしょうか。