学校において中心となる活動は、授業です。子どもたちは一日の大半を、授業を受けて過ごすのですから当然です。
学力向上を保障するためのきめ細やかで個に寄り添う丁寧な授業。そう聞けば、教師でなくても多くの人が「それはいい授業だ」と思うのではないでしょうか。しかし、この丁寧・親切でサービス満点の授業が、本質的な学力低下を招いている可能性があります。今回は学力問題の筆頭に上がりがちな算数を例に話を進めていきます。
例えば、「個を大切にする」ために、算数が苦手な子どもに「親切」にもつきっきりで教えている場面が見受けられます。残念なことに、これは労力に対して見合う効果がほぼありません。さらに言えば、授業全体が前に進みません。ほとんどの子どもが待つ羽目になるのはもちろん、最初からよく分かっている子どもは「浮きこぼれ」の状態になり、大きな不満を抱え、やがて「授業崩壊」「学級崩壊」に陥ります。丁寧・親切にやってあげればあげるほど、どんどん悪くなります。
不親切教師の発想は、逆です。まず、全体に例題を示した後、自力で解く練習課題を出します。最低限のチェックのみして、後は個々にどんどん進みます。課題に取り組む最中に離席して教えたり教わったりすることを推奨しており、教室のそこかしこで一緒に学ぶ姿が見られます。簡単に解けない発展課題も用意しておくなど、理解の早い子どもにも対応します。とにかく、「自走して学べる子ども」を目指します。そのための準備の労力は惜しまないことです。
教師によるドリルの丸つけも、基本的に不要です。子どもは、何年生であっても答えさえあれば自力で丸つけをできます。時々つまずきやすい箇所のチェックをし、個別指導が必要な子どもの答案を見てあげるなどすれば十分です。
そして何より、変化の激しい今の時代の子どもたちに付けるべきは、はっきりとした答えがないような問題や見たことのない問題に対してでも、自ら考えて自分なりの答えを生み出していけるような本質的な学力です。懇切丁寧に教えた結果、少し出題形式が変わるだけでさっぱり応用が利かないといった事態に陥るようでは本末転倒と言えます。苦労して自分の頭で考えて考えて考え抜いてできるという、粘り強さを鍛えることが大切です。そのためには、子どもでも解けて大人でも苦戦する「難問」を用意しておくことです。これを考えることは、教師にとって知的で楽しい作業のはずです。
その解法も答えも親切に教えてあげる必要はなく、「挑戦問題」として用意しておき、提出者のみに〇か×をつけて返してあげるだけで構いません。そうすることで、特にその教科が得意な子どものやる気に火をつけます。