これまで、ソーシャルワークは①社会そのものを「社会モデル」で捉え直し、全ての人の権利が守られるように働き掛けること②個別性の高い事情について環境調整をすること(ケースワーク)――だと伝えてきました。
日本では2008年からSSW(スクールソーシャルワーカー)の活用事業が始まっており、15年の川崎市中1生徒殺害事件によって被害・加害生徒の家庭的な背景に注目が集まったことで、全国的な拡充につながりました。家庭環境という「個別性」に着目し、被害に遭った生徒と加害行為をした生徒それぞれが抱えている困り事に対し、ケースワークで解消しようとしたのだと思います。(注:筆者の考えです)
ケースワークのみをSSWに期待してしまうと、いつも「表出した問題」に対応するだけの人になってしまいます。実際、「うちの学校には、SSWさんにお世話になるような子どもはいないよ」と言われることもあり、「そういう仕事じゃないんだけどな…」と頭を悩ませます。
以前、中学校の学年主任から「今年の新入生には、不登校の子がいません。この先の不登校は、学校の責任です。どうやったらみんなが卒業できますか?」と相談されましたので、①子どもたちを脅すという方法で制圧せず、意見の相違がある時は対話をする②宿題や提出物で追い立てない③学年の規律を緩やかにする――ということを提案してみました。
その学年主任は当該学年で実行してくれたので、いつも学年で10人前後の不登校が出てはいたものの、その学年が卒業する時には、不登校の子は1人になっていました。学校を社会モデルで捉え、基礎的な環境整備をしてくれた結果だと考えます。
しかし、先生からのメールには「他の学年には波及せず、理解してもらえませんでした」という3年間の苦悩と「1人だけ不登校にしてしまったこと」という無力感、「いつも苦しいときにはSSWならどう考えるのか」と思考の苦戦がつづられていました。
ソーシャルワークの理念で考えると、SSWが対象とするのは学校に集う全ての子どもと大人であり、国や行政はケースワークに着目するのではなく、「SSWは、学校に集う全ての人の権利擁護のために学校を社会モデルで捉え直すことに寄与する人、その上で個別性の高いニーズに対応する人」という枠組みで、SSWの普及を進めていただきたいと思います。子どもの権利条約第18条では、子どもの通う施設への責任は国にあり、その場所の設備および役務の提供・発展を確保するよう伝えているのですから。