前回は、現在学校が直面している課題を解決する上で、社会関係資本の醸成と心理的安全性の確保が大きなカギになることを述べました。しかし、ここで最も悩ましい問題は、「社会関係資本や心理的安全性は自然に発生するものではなく、意図的に創り出す必要がある」という点です。社会関係資本も心理的安全性も、「これから全員でつくりましょう」と合意するだけで確保できるものではありません。そうした中、効果的な手法として注目されているのが「対話」です。
対話は「話すこと」と「聴くこと」で構成されます。世界的に有名な紛争解決ファシリテーターとして知られるアダム・カヘンは対話を「儀礼的な会話」「討論」「内省的な対話」「生成的な対話」の4つのモードに分類しています(図)。
普段の私たちのやりとりの多くは、「儀礼的な会話」のモードで行われています。話し方は丁寧で、当たり障りがなく、聞き手はこれまでの経験から形づくられた前提や価値観、思考の枠組みに基づいて、相手が伝えようとしていることを推測したり、判断したりしながら聞いています。このモードでは、話し合いは表面的なものに過ぎず、同じ主張が繰り返されるなど、双方にとって新しい発見が生まれることはないでしょう。
「討論」のモードでは儀礼的な会話モードと比べて率直な意見のやりとりがなされますが、「自分の意見は正しく、相手の意見は間違っている」という対立構造の中でやりとりが行われます。このモードでは、意見が同じ人との関係は強化されますが、対立する意見を持つ人との関係は分断されてしまいます。
「内省的な対話」のモードでは、やりとりする言葉の背景にある文脈にも意識を向けます。相手の言葉の背景にある価値観、それらを構築してきた過去の経験を想像し、話し手と聞き手が互いに受け止め合いながら会話をします。そのため、関係性の質は必然的に高くなります。
「内省的な対話」を積み重ねていくと、自分と他者を隔てる壁がなくなり、互いの異なる視点やアイデアを受け止めやすくなります。そして、それらを組み合わせることで新たなアプローチや解決策を生み出すことができるようになります。これが「生成的な対話」のモードです。
私たちは普段、無意識にコミュニケーションを取っています。そのため、思い込みや固定観念にとらわれた状態で自分の考えを伝え、相手の言うことを理解していることに、なかなか気付くことがありません。
では、どのようにすれば「儀礼的な会話」や「討論」ではなく、互いの関係性を深めながら相互理解や創発につながる「対話」が可能になるのでしょうか。次回はその具体的な方法についてお話ししたいと思います。