前回は複業を通じて得た新しい視点や心震える瞬間など、実際に複業をしてみて感じたことをご紹介しました。今回はその前段階として、私が複業を志すきっかけとなった教員時代の経験や気付きを掘り下げていきます。
教員として日々子どもたちと向き合う中で、いくつもの「もやもや」を抱えていました。例えば、校則など学校の都合を子どもや保護者に押し付ける雰囲気や、本当に目の前の子どものためになっているとは思えない指導を行わなければならない場面がありました。また、学級担任や学年生徒指導担当として理想を追い掛け実践しつつも、手の届く範囲が限定的であることも歯がゆく感じていました。
また、文化祭で吉本新喜劇の上演を生徒たちと共に成功させた経験も一つの契機でした。生徒たちがコトに対して主体的に取り組む姿勢を持ち、適切に専門家とマッチングできれば、驚くべき力を発揮することが分かりました。
ただ文化祭の件ではたまたま自分自身が喜劇の専門家を経験していた(第1回参照)に過ぎません。その他の分野に専門性を持たず、学校外とのつながりもないため、子どもたちの可能性を広げられる環境を十分に提供できないことも同時に実感してしまいました。森羅万象の専門家になることは不可能ですから、教師は外の世界を知り、社会と子どもたちとをつなぐインターフェースにならなければならないと考えるようになりました。
日常業務の中における「知見の輸入」の成功体験もまた、外界に関心を持つようになったきっかけの一つです。進路指導の保護者面談で分厚い資料を扱う非効率さに不満を抱えていた折、住居選びで訪れた不動産屋さんがカウンター越しでPC画面を共有しながら顧客対応している場面を目にしました。それを進路面談に導入した結果、業務が大幅に効率化し、データ管理の安全性も向上しました。また、エレベーターブリーフィングをヒントに学校の長い廊下を移動する時間を活用した打ち合わせを行うなど、民間のアイデアを導入することで容易に成果を上げることができました。
さらに詳細な経緯は拙著『先生が複業について知りたくなったら読む本』に掲載しています。こうした経験を重ねる中、社会で起きていることを体感し、学校に還元していくことの必要性を認識するようになり「まずは自分が学校の外に出てみよう」と考えるようになりました。
次回は「教師として初めて取り組んだ複業とオススメの複業」についてお伝えします。