教師時代、私は文化祭で生徒会と共に吉本新喜劇の舞台を企画しました。生徒たちは主体的に動き、大成功を収めました。公演後、演者の生徒が私に尋ねました。
「先生、記録用のビデオって、もらえませんか?」
最高の思い出を残したかったのだと思います。でも、私は「学校の記録データを個別に渡す前例はない」「公平性の問題があるかもしれない」と考え、「ごめん、できないんだ」と答えました。その瞬間、生徒の表情が曇ったことを覚えています。
後日、その生徒が親戚が撮影した映像を手に入れたと知ったものの、私はどこか引っかかっていました。あのとき「できる方法」を考えようともしなかったのではないか。何らかの手段はあったはず。でも私は、「ルールだから」と思考を止めてしまったのです。
そんな自分の考え方が変わり始めたのは、複業を始めたことがきっかけでした。私は教師時代に海釣りのYouTubeを運営しており、ある時、夜釣り用のナイトビジョンカメラを試したいと思いました。しかし、10万円近くする機材は簡単には買えません。
それなりに登録者を有していたこともあり、思い切ってメーカーにメールを送りました。
「カメラを貸していただけるなら、それを使って客観的にレビューします」
すると、意外にもすぐに「ぜひ試してください」と返事が来ました。
「できない理由を探すのではなく、どうすればできるか」を考えたら道が開けたのです。
文化祭のビデオの件で、私は「できない理由」ばかり考えてしまいました。
教師はルールに縛られることの多い仕事です。でも、それは「ルールを破れない」のであって「新しい方法を考えてはいけない」わけではありません。複業を経験して、私は「制約の中でもできる方法を探す視点」を手に入れました。
学校の仕事も同じです。
・生徒のために何かしたいとき、決まりの範囲内で実現する方法を考える
・前例がないなら、新しく作ってもいい
この件は一端に過ぎず、同じような後悔がたくさんあります。また、全国から同様の悩みが日々届きます。だからこそ、私は今「教師はもっと自由に働いていい」と強く主張したい。複業は、発想の自由を与えてくれる、と。
どうすればできるか――その問いを持つことが、より良い教育につながるのではないでしょうか。この記事で紹介した以外にも、複業が教師自身に与えるメリットはいくつもあると考えていますが、詳細は拙著『先生が複業について知りたくなったら読む本』に任せたいと思います。
次回は、教師の複業が学校や子どもたちに与える影響について考えます。