1925年3月、日本でラジオ放送が始まりました。背景には、他国でラジオの公共放送が始まりつつあったこと、そして1923年に発生した関東大震災がありました。
関東大震災当時、東京では真偽不明な情報が飛び交い、必要な情報が必要な場所に届かず、さまざまな二次被害が生まれました。当時日本にいた外国人が「暴動を起こし、井戸に毒を入れている」といったデマによって殺害されたことが、その最たる例です。デマを広めたのは人々の口コミ・うわさ話だけではありません。新聞が今でいう「風評」「フェイクニュース」を拡散し、それを助長しました。建物の倒壊や火災で人命が奪われると同時に、情報の不足や誤りが人々を危機にさらしました。そこで「放送」という公共インフラの重要性が認識されたわけです。
今に至るまで「放送」は、日本で暮らす私たちのすぐそばに空気や水のように存在し続けていますが、その誕生の裏にはこんな経緯がありました。
東京放送局の最初のトップは後藤新平です。後藤は放送に関わる前に関東大震災の東京の復興計画に関わり、さらにその前は公衆衛生を専門として行政の感染症対策を指導する医師でもありました。いわば東日本大震災や能登半島地震のような大規模災害とコロナ禍のようなパンデミックとを経験した人物が、日本の放送の黎明に関わったわけです。
この事実が示すのは、日本では防災・危機管理に「放送」が不可欠であるという明確な認識の下で、それが始まったということです。そして、1世紀前の出来事と、私たちが近年実体験してきた難題(=災害やパンデミック、虚実不確かなニュースの問題)は、足元ではつながっているということです。
世界で拡大したラジオ放送は、戦争に国民を動員する道具にもなりました。先見性のある人は当初より期待と不安とを感じていたかもしれません。「ドローンやAIができて世の中が変わる!」という期待と「AI・ドローンが既に戦争で利用され始めていて、これからさらに悪用されるのでは」という不安の両方が、私たちの中に併存するようにです。
急に「災害について探究しよう」と言われても、「建物の強度の問題?がれき片付けボランティア?」ぐらいしかイメージできないかもしれません。少なくとも国数英理社とは無関係にも見えます。でも、実際には、そこには歴史がありテクノロジーがありメディアがあり、あらゆる教科にもつながっています。専門知を持って見ると「防災」も「探究」も一気に奥行きが出ます。
さて、ようやく「中高生の力でアップデートする 防災教育×探究学習」の話に近づいてきました。