学校現場では外国にルーツのある子どもたちが増加・多様化している。この課題に対し、今年4月に立ち上がった文部科学省の外国人児童生徒等の教育の充実に関する有識者会議でも、デジタル技術を活用するなどして、母語の力の活用も含めた日本語で学ぶ力を育成していく方向で議論が進んでいる。外国にルーツのある子どもへの指導で多言語翻訳の機器を導入している学校も増えているが、京都教育大学の黒田恭史教授は企業と連携して、さらに学校現場のニーズに応えたシステムの開発に取り組んでいる。こうしたICTの活用によって、外国にルーツのある子どもたちの学びを支援し、相互理解が進むと期待される。
目の前にいる教師が日本語で説明すると、子どもが見ている学習者用端末には、その子どもの母語に翻訳した字幕がリアルタイムで表示される。母語での音声化も可能だ。逆に、子どもが挙手ボタンを押して母語で話しかけると、教師用の端末にはその発言内容が日本語になって表示・音声化される。
黒板の日本語の板書も、端末をかざすとその子どもの母語に変換されて読める。縦書きの板書も認識でき、さまざまな教科に対応しているのも特徴だ。
このリアルタイム板書・音声翻訳システム「EduBridge」は、日本語での理解が難しい外国ルーツの児童生徒の学習と教師とのコミュニケーションを助けてくれるツールだ。2年ほど前から黒田教授は、ITベンチャーのトレンドリンク合同会社と開発に着手した。翻訳できるのは、日本に多く住んでいる外国人の母語であるポルトガル語や中国語などの12カ国語。GIGAスクール構想で学校に導入されている端末の主要なOSにも対応している。
黒田教授は「『EduBridge』は一画面の中に全ての機能を組み込んでいる。これまでも音声翻訳やAR(拡張現実)を使った優れたツールはあったが、小学生くらいの子どもも気軽に使える環境を目指した。教師は自分の端末を教卓に置くだけでよく、後の操作は子どもに任せればいい」と説明。これによって、授業中の子どもの理解を助けるだけでなく、教師の負担軽減につながるメリットもある。
「EduBridge」では、小学校から高校までの学習内容をAIに学習させ、いくつかの学校で試験を重ねてきた。教科・科目が多く、学習内容も高度な高校の方がAIに学習させるのは大変なように思えるが、実際にはそうではなかったという。
「AIは高校で学ぶようなアカデミックな内容には強いが、小学校段階で使われる教育的な言葉は苦手だ。私たちはそうした学校教育で使われる特有の言葉が、その子どもの母語でもきちんと翻訳され、子どもにも分かるようにすることを非常に意識した」と黒田教授。この他にも、板書の数式をはじめ、あえて翻訳しないものをAIに認識させるなど、学校の授業に適したツールにしていくための試行錯誤を繰り返してきた。
学校現場で試験データを取っていく中で、教師からのさまざまなフィードバックも得られた。
外国から日本にやってきた子どもたちの中には、例えば、小学5年生くらいまでは母国の学校で母語で学び、来日後の小学6年生以降の内容は日本の学校で日本語で学ぶといった、学んだときの言語の違いが体系的な理解をさまたげてしまうケースがある。
当初のシステムではこうしたケースを想定し切れておらず、教師が日本語で話した内容は、その子どもの母語だけに翻訳して表示されていた。学校現場から「日本語で学んでいる内容が含まれることもあるので、母語と日本語の両方併記してほしい」といった要望があり、すぐに対応することにしたそうだ。
黒田教授は「一からつくり直すような作業になったが、早めに指摘されたので致命的な問題にならずに済んだ。なぜこのことに気が付かなかったのかと、頭をたたかれたような気分だった」と振り返り、学校現場と一緒になって開発をする重要性を痛感していた。
授業以外でも「EduBridge」の使い道には、さまざまな可能性が考えられる。試験的に導入している中学校からは、三者面談で日本語が分からない保護者とのコミュニケーションツールとしても使えるのではないか、というアイデアが挙がっているという。教室で「EduBridge」を使っていると、周りの子どもたちも興味を示し、外国にルーツのある子どもを中心に人だかりができる光景も珍しくない。ツールを使えば言葉が違っていてもコミュニケーションできると知ることで、子どもたちは多様な言語や文化を持つ人々を理解しようとし、共生社会への一歩を踏み出すかもしれない。
黒田教授は「外国にルーツのある子どもや保護者には、さまざまな困り事がある。私たちはいろいろなチャネルを提示して、その中で一番使いやすいものを選んでもらいたい。日本語か母語かという問題ではなく、環境をきちんと用意して、最終的に子どもや保護者が自分で選べるシステムを目指していきたい」と強調する。
一方で課題もある。翻訳に用いるAIの利用にはコストがかかるため、将来的な普及を考える上では、費用負担の問題が生じかねない。黒田教授は来年度からの本格運用を視野に、企業による寄付を募るなどして、できるだけ学校現場が費用を負担せずに済む方法を模索している。
黒田教授は「EduBridge」に関する問い合わせをメールで受け付けている。
【キーワード】
AR Augmented Realityの略で、例えば、目の前の物体に向かってスマートフォンをかざすと関連する情報が表示されたりするなど、現実世界を立体的に読み取り、仮想的に拡張する技術を指す。教育においても、ARの可能性の検討やさまざまな学習場面での活用が進みつつある。