デンマークのコペンハーゲンで、障害のある青少年のための学校兼ユースセンターを訪れた際、玄関を通ってロビーに入ったところで“イチャイチャ”している高校生ぐらいのカップルを見つけました。そのシーンがほほ笑ましく印象的で、施設見学の後で校長先生に「ああいうことはよくあることですか?」と尋ねたのです。
すると、返ってきた答えは私の予想を超えたものでした。「障害がある彼らにも、他の若者たちと同じように若者時代を謳歌(おうか)する権利があります。私たちの仕事は、それをサポートすること。彼らの場合、身体的なハンデで恋人と寄り添いづらいこともあります。そんな時にもサポートしますよ。私たちの仕事は、決して職業訓練だけではありません。」
自分の中に、「学校は、今がつらくても、将来のための準備をするところ」という考えが強く根付いていたことに気付いた瞬間でした。私たちは、「将来のために今は忍耐強く勉強しよう」というメッセージをたくさん受けて育ってきたのではないでしょうか。しかし、ここの校長先生は、「今」「ここ」が心地よく、幸せであることが、結果的に彼らの将来をも支えるという確信を持っているようでした。「今」「ここ」の幸せと将来への備えは、二項対立で捉えることではないのかもしれません。
デンマークには「森のようちえん」と呼ばれる、園舎を持たない幼稚園があります。毎日、森に出掛け、子どもたちが自ら遊びをつくりだし、自由に創造的に活動することが特徴です。
子どもたちは、倒木の上によじ登り、木の皮を剥ぎ、開いている穴に棒を突っ込みます。保育士に飛びついて押し倒し、 友達と駆け回ります。訪ねた時、私はそこにいた小さな子どもたちが大人みたいな顔、自信に満ちた「はっきりと意思のある顔」をしていたのに驚かされました。
「やってみたい」と思ったことを全身全霊でやれる活動環境があり、禁止や制限がほとんどない中で、自分の意思や感情をあるがままに表現することができる。そして、それを見守って、受け止めてくれる大人がいる。まさに、自分のしたいことを自分でつかみきっている、という姿に私には見えました。そして、これだけ100%の自己表現で毎日を過ごしていたら、「この子たちは、自分が何をしたいか分からなくなったりしないだろうな」と感動を覚えました。翻って、日本の子どもたちの環境はどうでしょうか。