【保護者と信頼関係を築く(9)】子どもの未来を共に描くための改革③ 職員室の意識改革

【保護者と信頼関係を築く(9)】子どもの未来を共に描くための改革③ 職員室の意識改革
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 保護者が新しい担任に不満を持つケースとして、「前の担任はこうだったのに…」

 と比較して見る場合がある。

 「前の先生は自由だったのに、今のクラスは規則が多くて窮屈だと言っています」

 結局、子どもの感じたことを保護者が代弁しているのである。教師も人間なので、一人一人学級経営や授業の仕方が異なっていて当然である。違うからこそ、いろいろな教師が担当する意味がある。

 ただし、教育観だけは学校として共有する必要がある。私が以前勤務していた学校の重点目標が、「自分からがいっぱい」というものだった。人とコミュニケーションを取るにしても、係の仕事をするにしても、主体性が基本になるので、「間違っていてもいいから、主体的に行動する姿を評価していこう」という理念だった。一枚岩で主体性を重視した教育にまい進すべきところ、「何もしなければ失敗すらしない。失敗を通して自分の弱点を見つめていくようにしよう」と子どもにどんどんやらせていく教師もいれば、「クラスのことを決めるのは担任です。何をするにしても、私が許可したかどうかを大切にしてください」と反対のことを言っている教師もいた。

 自由主義社会に出ていくための教育機関である学校が、自由の意味を教えていくのは至極大切なことである。ただ、子どもに失敗させてそこから原因を考えていく学級経営をしていく中で、保護者から「小学校では自由を教えることなんて無理じゃないですか。子どもたちが困っています」との声が上がることがあった。職員室の意識が一枚岩でなかったために起こったクレームだった。大切な理念が揺れているようでは、保護者は前担任だけでなく他クラスとも比較することになり、それぞれが自分に都合の良い言い訳に終始することになろう。これでは、保護者だけでなく子どもも迷わせることになる。

 細かいところまで合わせる必要はない。そんなことをしたら、無意味な時間が膨大にかかってしまう。大切なのは、正しい理念を共有することだ。もちろん、「子どもたちの未来」というキーワードを持ってである。教師の立つ土俵が一つになれば、子どもたちの立つ土俵も一つになる。そうなれば、学校にいるどの子どもに話をしても、感覚として通じるようになっていく。

 「過度な統一感は人間性を消失させる」

 まずは誤った価値観から是正するべきではないか。

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