相模原市立鹿島台小学校教諭
教師は保護者との人間関係づくりを狙うものであってはならない。そこには、「他の教師はさておき、自分だけはうまくやっていきたい」という気持ちが入ってしまう。迎合や忖度(そんたく)、敵対などに発展するのは、こうした意識の延長線上である。結果として、信頼関係を築けたという姿が理想的なものであろう。
保護者が新しい担任に不満を持つケースとして、「前の担任はこうだったのに…」 と比較して見る場合がある。 「前の先生は自由だったのに、今のクラスは規則が多くて窮屈だと言っています」 結局、子どもの感じたことを保護者が代弁しているのである。教師も人間なので、一人一人学級経営や授業の仕方が異なっていて当然である。
保護者との信頼関係は目的化するのではなく、結果としてそうなったときによかったと振り返るべきものである。主役はあくまでも子どもたち。子どもがより良く変わっていくことで、結果として親との信頼関係が深まるという姿が理想的だ。
保護者に向かって、「共に子どもの未来を見据えてやっていきましょう」といったことを伝える機会はなかなかない。本来、保護者と教師は子どもを中心に据えて共生していく関係であるべきだが、現状では時に教師は利益の提供者であり、保護者はその享受者という構図になってしまっている。
7月25日に放映されたNHKの『スポーツ×ヒューマン』で、サッカー日本代表キャプテンである吉田麻也選手が紹介されていた。「苦しいときこそ真価を見せろ」と題された特集では、苦しいときいかに心を平静に保つことが大切か、切々と訴えていた。ワールドカップ出場を決めたオーストラリア戦では試合へ向かうバスの中で、プレッシャーから強烈な吐き気に襲われていたという。
本来であれば、子どものことを考え、「このままでは、本当に勉強が分からなくなってしまいます。いいえ、既に分からなくなってきています」と言いたいところ、もう少しトーンを下げ、「苦手なところをもう少し頑張るようにすれば、すぐに分かるようになります」と、ごまかしにも似た言い方になることが多い。
価値観の多様化は、他の子どもはどうでもいいから、わが子の利益だけを求めるような保護者をも生む。そうした保護者にとって、他の子の活躍や成績より、わが子が一番になることが絶対的な価値となってくるのは当然であろう。だから、合唱コンクールのピアノ伴奏者に選ばれなかったことに対し、「本当に公正な選出だったのですか?」と選出した教師の責任を追及してくるのだ。
価値観が多様化している中、保護者が何か学校や教師にしてほしいと思ったとき、それは絶対である。その価値判断以外のものは受け入れられないからである。
教師に対する理不尽な要求や要望、クレームが以前に比べて増加した要因として、保護者の高学歴化、孤立化、社会全体の過剰なサービス化などが挙げられているが、現場にいる者としてどうもしっくりこない感じがしていた。本当に高学歴であれば、「先生も何かと大変ですね」と相手の立場や心情を察する力が身に付いているはずである。
文科省が「学校における働き方改革」を提起するなど、教師のこれまでの働き方を見直す動きが活発になっている。特に、残業時間を改善しようとする動きは顕著で、同省から出された「公立学校の教師の勤務時間の上限に関するガイドライン」においては、時間外勤務の上限の目安を1カ月あたり45時間、1年あたり360時間などと設定している。
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