【もっと自由に、もっと深く学ぶために(1)】なぜ、今まで個別最適ではなかったのか

【もっと自由に、もっと深く学ぶために(1)】なぜ、今まで個別最適ではなかったのか
【協賛企画】
広 告

 天童中部小学校での取り組みが注目されるようになり、「何をすればいいのか」「大切なことだとは思うけど、実際にやるのは大変だよね」など、さまざまな方からいろいろな声を掛けていただくようになっています。

それぞれの学びに、お気に入りの場所で自由に取り組む

 そんな時、この連載のお話をいただきました。そこで、実践してみての本音を10回に分けてお伝えします。「これが正しい」「こうした方がよい」ということではなく、あくまでも「こう考えた」「こうしてきた」という事実です。子どもたちが学校でより良く暮らせるようにするにはどうすればよいかを、一緒に考えていただく材の一つになれば幸いです。

 もともと子どもたちは一人一人自由に自分らしく学ぶ権利を持っているし、そうしたいと思っています。にもかかわらず、「なぜ、今まで個別最適ではなかった」のでしょうか。現在の学校教育の実態としては、教える側が教えたい内容を決め、教えたい計画を立てて実践し、評価しています。公教育は社会の負託を受けて行われているため、こうした状況になっている理由や事情はあります。完全に間違いとも言い切れません。「できるだけ子どもをよく見て、よく考えて、そうしている」という声も聞こえてきそうです。しかし、学校生活の主役である「目の前の」子どもたちの思いや意見が「直接は」取り入れられず、反映される余地のない状況がよいとは決して思えません。

 現行の幼稚園教育要領から高等学校学習指導要領まで全ての校種の前文に、これからの時代に求められる教育を実現するための理念として、「よりよい学校教育を通してよりよい社会を創る」と示されています。「今の大人にとって都合のよい社会を子どもたちが創るように教育する」という意味ではないはずです。どんな社会がよいのか明確な答えが見えない中で、自分や多様な人々が幸せ(well-being)に暮らすことができる社会を創る、そんな子どもたちを育む学校教育にしていこうという意味だと思います。

 子どもは誰もがおのおのの事情を抱えて登校して来ます。「本校の子どもたちはなかなか厳しい」「何だか年々大変になっている」などと、どの学校の関係者も「同じ」ように思っている気がします。「違い」が出るのは、この先です。「だから」、学校で学習ルールを作り、子どもたちに厳しく守らせ、保護者を呼び出して指導するのか、あるいは子どもが何を考えているのかを知ろうと丁寧に話を聞くのか、たくさんの「次の一手」があるからです。私たちが考えたのは、一人一人の子どもが自分の暮らしを創っていくことができるように、もっと子どもと相談して、もっと信頼して、もっと自由度を高めて授業に臨もうということです。

大谷敦司(おおや・あつし)山形県教育庁義務教育課主任指導主事などを歴任。近年は学習者主体の授業づくりを柱に据えた学校経営・運営の在り方を研究領域としている。文科省学習指導要領などの改善に係る検討に必要な専門的作業等協力者(小学校生活)。執筆に『平成29年版小学校新学習指導要領ポイント総整理 生活』(東洋館出版社)など。山形大学地域教育文化学部・宮城教育大学教育学部非常勤講師。

広 告
広 告