【新たな教員研修の行方(10)】教師は何のために学ぶのか―教員研修の自律性

【新たな教員研修の行方(10)】教師は何のために学ぶのか―教員研修の自律性
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 本連載では、まず「教師の学び政策」の経緯を振り返り、社会の急速な変化の中で知識・技能を絶えず刷新していく主体性や自律性が教師に求められていることを確認しました。次に「教師の学び」を支える理論を概観し、「教師の学び」が経験と省察の質、そして関わり合いによって支えられていることを解説しました。そして前回は、教員研修制度改革の動向について触れたところです。最終回ではこれらを踏まえ、筆者の見解も交えながら教員研修改革の行方を展望したいと思います。

 今、「教師の学び政策」は「教員研修の高度化」に向かっています。その内実は、情報を一元化するプラットフォームの構築や多様な研修ニーズに応えるコンテンツ開発といった「基盤整備」、それらを上手に活用するための研修記録を基にした「対話」を両輪とするシステム(仕組み)づくりと言えるでしょう。「高度化」は、教育政策で度々登場しますが、なかなかつかみどころがない言葉です。今般の改革では、研修の仕組みが「技術面」(=テクノロジー)において高度化していくことは分かりますが、それが教師の学びと研修を豊かにするかどうかについては疑問があります。

 もし、このシステムが円滑に機能した場合、どのような「教師の学びの姿」が実像として描かれるでしょうか。教師が自らの力量を高めるために、校長と対話を重ねながら多様な研修コンテンツを選択していく姿でしょうか。あるいは、プラットフォームを基盤にして、学校内外の教師や専門家とつながりながら、教師が研修経験を積んでいく姿でしょうか。

 いずれの場合も新たな教員研修は、教師による研修コンテンツの「選択」を助長しかねません。そうして選択された研修履歴が教師個人に帰属する仕組みが強化されれば、教員研修は「バッジ集め」や「スタンプラリー」のようになり、「主体的で自律的な教師」は、まるでコレクターのようになってしまわないでしょうか。

 教員研修は個々の教師の主体性と自律性を前提としつつ、同時に子どもたちや学校、そして社会全体のためにあるべきです。個々の研修ニーズに応えることももちろん重要ですが、その「ニーズ」をどのように開発していくかについても、問われなければいけません。出来合いのコンテンツを「選ぶ」だけでなく、教職員、子どもたち、地域住民と共に目指す学校の姿を見定め、そこから必要な研修を創っていく教師の姿にも光が当てられるべきです。研修それ自体について対話する前に、学校づくりに向けた開かれた対話の機会を持ち、それを研修の創造につなげていく教師たちの「創造性」にこそ、関わり合いを重視する「教師の学び」の本質があると思います。

 (おわり)

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