最近、大学生の友人づくりに変化が起きています。皆さんは「#春から〇〇大学」をご存じでしょうか。新入生が入学前にTwitterやInstagramなどに入れて投稿することで、同じ大学に入学する学生とつながるための方法の一つです。一昔前までは、入学式や新入生オリエンテーションで友人づくりをしていましたが、今は入学前から始まっているのです。そして、入学後は「サークルLINE」や「ゼミLINE」の他に友人グループLINEがあり、2カ月もたつ頃には複数のLINEグループを持つことになります。
その一方で、このように多くの友人とつながっている状況の中では、LINE返信を面倒と感じることもあり、「未読スルー」や「既読スルー」といった不可解な行動も見られます。
こうした大学生の行動は、自己責任論に裏付けられた若者相互の関係性の希薄化と解釈され、一定の関係性を持たない他者には無関心な一面があると見ることができます。社会学者の宮台真司が教室という宇宙に、相互に無関心な小さなグループ(島)が林立する様子を「島宇宙」と表現しましたが、ネット社会を生きている若者たちの、ネット空間のいつでも「つながっている」感覚が、逆になぜこうした無関心を加速するのでしょうか。
ネット空間における同調圧力の強まりを指摘したのは社会学者の内藤朝雄です。内藤によれば、子どもたちにとっては「いま・ここ」が正しさの基準となり、みんなのノリに合わせることが良いことだと感じられ、道徳観や倫理観はその場のノリやふざけの同調圧力の前では黙殺されてしまうと論じています。子どもたちは善悪の判断をせず、その場の空気を読んで曖昧に「(笑)」とコメントしたり、スタンプを送信したり、自分の嫌な気持ちをできるだけ表現しない、もしくは婉曲的な表現に終始することが多いのです。
内藤はリアルよりもネット空間になるほど、この「同調せよ」という集団からの圧力が強く働くと指摘しました。LINEのグループ内で、立場の強い子が「カラオケに行こう」と誘えば、みんなは「イイネ!」と書くしかありません。本当は行きたくない子や都合が悪い子も、周囲が皆「行こう」という雰囲気になると、自分だけ嫌だとは言えない空気になりがちです。
ネット上では相手の顔が見えないだけに、周囲と異なる声を上げにくく、他者と同調して、「浮かない」ようにその場をやり過ごそうとします。こうしたネット空間のまん延が、むしろ逆に他者との関係性を希薄化する装置として機能し始めているのではないでしょうか。