最近の子どもたちの様子を見ていると、友達関係のつくり方に変化が生じていることが分かります。例えば、昔に比べて一つのグループの構成人数が小さくなっており、その小さなグループ内にいる子どもの趣味や髪型・服装までもがよく似通っています。もちろん、みんなの仲が良ければ問題はないのですが、こうした凝集性の強い集団に起こりやすい人間関係のトラブルは何でしょうか。
生徒指導上で留意しなければならないのが「スクールカースト」と「いじり」の問題です。先生方はいつも一緒にいる人間関係が、最近ではむしろ危ないことをよく知っています。理由は、子どもたちがその仲良しグループの中に序列を持ち込み始めたからです。
秋田大学の鈴木翔は、クラスやグループ内には緩やかに形成された序列(カースト)があり、その上位にいる子に決定権があり、下位に位置付けられた子どもは発言を遮られ、自分の意見を言うことも難しいような実態があることを指摘しました。他方で、カースト下位の子が標的となりやすい「いじり」について、警鐘を鳴らす研究が多く見られるようになってきました。例えば、ドッジボールではカーストの低い子がみんなから狙われやすかったり、かくれんぼで鬼を引いたらみんながいなくなってしまったりと、それまでの遊びのルールが一転して、その子に対する「いじり」に変わってしまうのです。
いじられる子は抵抗しないで周囲に迎合して笑っていることが多いため、「いじめ」とは認識されづらく、周囲の子も本人が了解していると思い込んでしまいがちです。日常生活の中でこのような上下関係が形成され、それが恒常的ないじめへと展開されやすいことを学校の「空気」として指摘したのが、東京大学の本田由紀です。
もちろん、場の雰囲気を和ませるための粗野なコミュニケーション手段として「いじり」があるのも事実です。私が住む関西地方では、メディアの影響からか「いじり」も一つの文化だと思われる傾向が強いと言ってよいでしょう。
しかし、遊びやふざけに偽装しながら、カーストの上位者が「人間関係があるからこの程度は大丈夫」であるかのように下位者を了解させた上で、自分のストレスを発散するような構造があるとすれば、それはすでに確信犯的な「いじめ」ではないでしょうか。
最近のいじめ問題の難しいところはこの部分にあり、「いじり」と「いじめ」の境界が非常に曖昧なことです。ある状況の中で、どこまでが「いじり」でどこからが「いじめ」なのか、この判断が難しいのです。