学校を巡る生きづらさについて、私自身の身近な経験から考えてみます。私は今、中学2年生、小学5年生、3歳児を育てています。
小学5年生の息子が「学校に行く意味がない」と言い出しました。クラスに落ち着きがなく、複数の子が授業中に立ち歩いたり紙飛行機を飛ばしたりするようです。言葉で注意しても収まらず、けんかになって誰かが泣くこともしばしば。先生が個別対応する間は授業ができず、「よく自習になるから意味がない」とのことです。
担任は20代前半の男性です。「息子さんは字がとてもきれい」と優しく褒めてくれます。普段はかろうじて判読できるレベルの息子の字ですが、確かに学校のノートは「とめ・はね・はらい」が丁寧です。聞けば「何も考えないように精神統一のつもりで書いてるだけ」とのこと。もはや修行です。
隣のクラスの先生が見かねて「静かにして」と言いに来ることもあるようです。助けは必要でしょうが、その先生にも自分のクラスがあるでしょうし、子どもたちの目の前で他の教師の介入を受けるのはつらい面もあるのではないかとも考えてしまいます。
「先生は優し過ぎるんだよ。もっとがつんと叱らないと」と息子は言います。「力で押さえ付けるってこと?」と聞けば、「だってそれしかないじゃん」とのことです。
そう、構造を前提すると「それしかない」のが現実なのです。
1学級当たりの児童生徒数が、OECDで最多という旧態依然とした一斉授業の構造。授業に加えて事務作業や行事準備、保護者対応などの業務が多く、休憩も取りにくい教員の勤務形態。専門性は軽視されており、大学院卒教員の割合は世界最低水準で、専門性を尊敬される根拠も薄弱です。こうした状況を変えることなく日々の問題を単独で解決するなら、力で押さえ付けるか見ないふりをするのが合理的でしょう。
そうした状況がある中、保護者会が開かれました。「私の力不足」と担任は恐縮しますが、個人の問題でないことは明らかです。かといって「構造的な問題」とするだけでは、日々回る現場で無力なのも確かでしょう。
この若い先生が問題をスルーすることを体得する前に、子どもたちが「力で押さえ付けるしかない」と諦めてしまう前に、とにかく学級に関わる大人の数を増やして、試行錯誤しながら問題に取り組むプロセスをサポートする職場環境をつくれないものでしょうか。そんなことを思いながら、人知れず「先生、辞めないで」と念を送るしかない自分を歯がゆく思いました。