【子どもを苦しめる「生きづらさ」の正体(8)】ジェンダーを巡る生きづらさ

【子どもを苦しめる「生きづらさ」の正体(8)】ジェンダーを巡る生きづらさ
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 小学校で「ジェンダー平等」について学んできた息子が言いました。

 「なんで男だからって怒られるの?」

 日本のジェンダーギャップが先進国中最低レベルであること、特に政治・経済分野で男性優位であることを学ぶうち、息子は「男が悪い」と言われた気がしてしまったようでした。

 ジェンダー問題について伝えようとしても、結果的に「怒られた」という負の感情が残っては次のステップに進めません。難しい問題だと思います。小学校教育だけの問題ではありません。

 ジェンダーは生きづらさの源泉の一つであり、私が関わっている「生きづらさからの当事者研究会」(通称・づら研)でも話題に出ます。「女性の生きづらさ」では、容姿についてあれこれ言われたり、ケア役割を期待されたりすることなどが語られます。他方で「男性の生きづらさ」では、家族を養えなければ一人前ではないなどと言われたり、弱さを見せてはいけないなどと言われたりするプレッシャーがあります。

 「女性も男性も同じように生きづらい」と言って済ませることは、もちろんできません。女性の賃金は男性の4分の3で、課長以上の女性管理職の割合は2割にも満たず、衆議院議員は9割が男性です。このような状況を見ても、日本社会が女性に活躍の場を閉ざしていることに疑いはないからです。

 しかし、フェミニスト的観点からそう指摘しても、実際の相互作用の場面ではうまくいかない現状があります。「男性の生きづらさは受け止められないのか」というもやもやが残り、それが「女性ばかり擁護される」と怨嗟(えんさ)を帯びてしまうこともあります。息子が感じた「男ばかり怒られる」という思いにも、通じるかもしれません。

 ではどうすればよいのでしょうか。難しくて答えは出ませんが、私は次のように言うことがあります。

 「『全体として女性差別的な社会構造がある』と言っているのであって、『個々の男性が差別者だ』ということではない。女性差別的な構造から利益を得ているのは男性が多いけど女性もいるし、不利益を被っているのは女性が多いけど男性もいる。だから『性差別の構造が自分をしんどくさせているのはどういう点なのか』をいろんな視点から出し合って、そのしんどさを土台にしながら、共に考えていくのがいいのではないか」

 伝える側として避けたいのは、マジョリティー側が考えることから逃げてしまうことです。連帯への一歩を踏み出すために、マジョリティーが自分の生きづらさから出発するという道があってもよいと思います。

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