前回は、SES(社会経済的背景)による学力格差は学年段階が上がっても縮小することはなく、維持されたままであるということを見ていきました。それでは、なぜこのような現象が生まれるのでしょうか。
まず思い付くのは、経済資本の格差の問題です。経済的に豊かな家庭にいる子どもが充実した教育環境を与えられることを通して高い学力を身に付けていく一方、貧困家庭の子どもはそのような教育環境が得られないため、学習面で不利を抱えるという説明を考えることができます。
学力格差を考える上で、経済資本は確かに重要です。しかし、経済的な格差がなくなれば、学力格差は解消されるとは限りません。例えば、両親が読書好きであれば、その両親が読書をする様子を見て育つ子どもも読書が好きになり、結果として国語の成績が上がるかもしれません。家族で美術館や博物館に足を運ぶ機会が多ければ、学校の美術の授業を楽しく受けられる可能性は高くなるでしょう。家庭の中で日常的に豊かな会話が交わされているかによっても、言語スキルの獲得状況は左右されます。
もう一つ、教育期待の問題を挙げることもできます。「勉強をすることは大切だ」「大学に行くことは人生にとって大きな意味がある」と考える保護者の下で育つ子どもと、「勉強なんてしなくてよい」「大学に行かずに早く働く方がいい」と考える保護者の下で育つ子どもでは、学習意欲や勉強観の部分から、大きな差が生まれることは容易に想像がつきます。
読書習慣や家庭内の日常会話、教育期待など経済資本ではないものの、学力格差を考える上で重要なファクターであるこれらの資本は、文化資本と呼ばれています。また、家庭の文化資本の格差が子どもに引き継がれ、その結果として学力格差が生まれるメカニズムに着目した理論は、文化的再生産論と呼ばれています。
家庭環境による文化資本の格差の問題は、子どもの学校経験にも大きな影響を与えます。学校文化に親和的な文化資本を身に付けている安定層・富裕層の子どもが学校で成功を収めやすいのに対し、学校文化になじみにくい貧困層の子どもは、学校でうまくいかないことが多いというわけです。このように、文化的再生産論によれば、学校は既存の格差を再生産(=温存)する「装置」だという批判がなされてきました。
文化的再生産論は、「学校教育は教育の平等を実現する(格差の縮小に貢献する)」といった見方に疑問を投げ掛けます。学力格差の拡大を食い止めるためには、家庭の場、学校の場において、それぞれどのような問題が起こっているのかを明らかにした上で、適切な支援を進めていく必要があるでしょう。