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 9年前、本校に赴任して受け持った5年生。始業式があった週の金曜日にいきなり洗礼を浴びた。朝学習時の男子児童の性的な逸脱行為。今でも鮮明に覚えている精神的ショック。あれこそが児童の「Trauma」を受けとった瞬間だったのだろう。

 スイッチが入ると相手児童の胸ぐらをつかんでこめかみを一撃。うずくまった瞬間、みぞおちに膝蹴り。よろめいたところ、髪の毛をわしづかみにして額を壁に打ち付ける。暴力に脈絡はなく、その時の児童の目はまるで獣のようであった。

 予測不可能な上に対処法が分からなかったことで、私自身、精神的に参っていった。だが、そんな景色を見たのは自分だけではなく、本校を去られた先生も少なくなかった。別室指導にすべきか、闘うべきかと途方に暮れていた矢先、またいつものスイッチが入った。

 「学校燃やしたる!大人みんな死ね!俺は童園(児童養護施設)帰るねん!」

 このままでは、そこら中の机と椅子を投げ飛ばすだろう。私はわずかに残っていた気力を振り絞り、「お前に帰るところはない!」とまくし立て、心身のギリギリまで詰め寄った。

 その瞬間、虎が猫になったかのようになり、気恥ずかしそうに持っていた裁縫セットを窓から放り投げた。一対一の真剣勝負をすぐ傍で、何も言わず見守っていた教頭(現校長)は、そっと彼の手を取って一緒に裁縫セットを取りに行った。

 「教壇に立つ以上、子供たちの人生から逃げてはいけない」

 木村幹彦現校長の無言のメッセージは、教師を続けていく限り一生忘れないだろう。その日以来、その児童が暴れることはなくなった。

 当時の彼の言動は、トラウマの「再演」に酷似していた。スイッチは「理不尽」であり、怒りを向けていたのは友達ではなく、期待しては裏切られ続けた母親と社会へ向けたものだったのだろう。

 荒れ果てた心を授業で耕し、歌や合奏、ダンスで水をやる。つらかった「過去」を持つ子供たちの「今」を幸せにできるかは、教材研究と万全な準備にあると痛感した。そして、壮絶な人生を乗り越えてきたことへの敬意を心の中心に据え、歪んだ価値観に向き合い続けた。寄り添うだけでは更生できず、魂を削る作業であった。

 逆境体験をした児童にとって、学校は傷つく場所であり、大人一人を追い込むだけの破壊力を持っている。一方で、学校が安全基地となり、教育の力で「心の傷」を他への優しさに変えることも可能である。

 あの時の彼らに何が必要だったのかを問い続け、見いだした答えの一つ一つを積み重ねてきた。それが本校の「Trauma Informed Education」である。

生野南小学校の対人関係による要医療件数の変化
生野南小学校の対人関係による要医療件数の変化
【プロフィール】

小野太恵子(おの・たえこ) 大阪市立生野南小学校主務教諭。2012年生野南小学校へ転任。14年より研究部長として学力向上に向けた取り組みを進める中、トラウマ・アタッチメントの視点を授業づくりに取り入れる。現在、福祉・心理分野の国家資格取得を目指している。

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