非正規教員は2000年代以降の幾つかの制度改正によって急増したと言われている。しかし、実は2000年よりも以前から、非正規教員に依存するかのような任用傾向=いわば「前兆」があった。今回はその「前兆」の一端に触れることで、非正規教員問題を歴史的に捉えてみたい。紙幅も限られているため、1960年代を中心に見ていく。
「女子教育職員の出産に際しての補助教育職員の確保に関する法律」(産休代替法:1961年施行)や「義務教育諸学校等の女子教育職員及び医療施設、社会福祉施設等の看護婦、保母等の育児休業に関する法律」(育休代替法:1976年施行)が施行された際、産休育休代替教員として臨時的任用教員を置くこととされた。これに対して当時から身分・待遇が不安定な臨時的任用を引き受けてくれる人材が果たして存在するのかが強く懸念されていた。
心苦しいことに、今日においても臨時的任用教員を採用できないことから「(産育休を取る=欠員を生じさせてしまい)申し訳ありません」と謝罪をして休業する当事者がいる。代替なのだから非正規として任用する制度は、本当にやむを得ないのだろうか。
実は、これまで日教組をはじめ教育労働運動側は「代替定員化」を実現させることを目指していたようである。産育休の見込み数はある程度予測できるわけなので、その人数分をあらかじめ確保することで、場当たり的に臨時的任用教員を採用しないようにすべきとする主張は今日においても展開されている。非正規教員を生み出す代替教員制度の「当たり前」を問い直す時期に来ている。
他方で、60年代からすでに児童生徒数の減少は懸念されていた。その減少期に備えた「調整弁」として、本来正規教員を置くべきポストにやむを得ず非正規教員(いわゆる定数内講師)を置く自治体は多かった。最大1年で任用を切ることのできる非正規教員は「調整弁」として児童生徒数の減少に「柔軟」に対応できるわけである。これは労働問題としてはもとより、子どもたちの学習権保障の観点からも深刻な問題をはらんでいる。
このような問題性が指摘されていく中、いわゆる「講師裁判」(新潟地裁:1969年9月22日)が注目を浴びる。詳細は調べていただきたいが、この裁判を契機に「定数内臨時教員は脱法行為である」という訴えが全国に影響し、各県の定数内講師の正規採用が広がっていったようである。翻って今日の任用状況はどうだろうか。
80年代ごろに入れば、社会人の参入を期待して導入された特別非常勤講師制度など、「多様性」をキーワードにすることで、非正規という任用形態を正当化する制度も成立することになる。非正規教員問題を制度史的に捉えれば、それは正規で採用するという教員法制の大前提が少しずつ切り崩されていく過程であるとも言える。そもそも教師はどうあるべきなのか、教師の存在そのものが問われているのかもしれない。