私は不登校の子を持つ大勢の親御さんとやりとりをしてきました。「お母さんのほけんしつ」という約4000人の登録者がいる無料LINE相談窓口も運営しており、私だけでも1000人以上の親御さんの声を聞いてきて、気付いたことがあります。
あるお母さんは「子どもが実はこんなことが苦手だったけど、ずっと我慢してきたみたいで」とおっしゃいます。また、別の方は「子どもは友達とうまくやっていると思っていたんですが、実は周りに合わせなければと思っていたようで」とおっしゃいます。このように子どもが不登校になったからこそ見えてくるものがたくさんあるのです。
「この子は繊細さを持っていて、人付き合いに人一倍ストレスを抱える一方、すごく人の気持ちを理解して、相手が言うより先に行動に移すんです。一緒に過ごす時間が増えて気付きました」
そんなポジティブな気付きを得たという声も…。多くの親御さんが、子どもが学校に行かなくなると、子どものつらさや得手不得手、興味関心のあることなどに目を向けるようになります。それは不登校の状態を問題に感じ、それを解決するために自然とする行為なのですが、結果的に学校に行っていたときよりも子どもを深く知ることにつながります。
学校に行っていたときに見ていたのは、成績や部活動、たまに子どもの口から聞かされる出来事などの情報ばかりだったのではないかと思います。くしくも、不登校になることで、これまで見えていなかった子どもの一面を知ることになります。本当に不思議です。私は子どもの不登校は、身近な大人に対するSOSなのではないかと思います。「もうこんなに自分はしんどいんだ。助けてよ」という心の叫びでもあり、「私のこと分かってよ。私に目を向けてよ」という心の涙でもあるのではないかと思います。
決して親に責任を押し付けるつもりはありません。親以外も含めた全ての大人に言えることです。私たち大人は、子どもたちの何を見ていたのだろうかと疑問に思います。私たちの中にある正解を子どもに当てはめ、私たち大人が思うゴールに導こうとしていたのではないかと思うのです。
私たちが生きてきた数十年と、子どもたちが生きるこれからの数十年は全く違う世界。それならば、私たちの正解ではなく、子どもたちにとっての正解に向き合う必要があると思います。それは子どもたちの中に少しずつ芽吹いており、すでにともしびとなって存在しているはず。不登校というのは、そうした子どもたちのともしびに目を向けるチャンスなのではないかと私は感じています。