第10回 ケアする学校

第10回 ケアする学校
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 教職の魅力を考えるときに見失ってならないことは、「教職の魅力とは何か」という本質的な問いです。働き方改革がおかしな方向に進んでいるとしたら、「何のための働き方改革なのか」という、当事者による本質的な議論をしていないからです。

 私たちの悪い癖は、対立を恐れるあまり、議論を避けることではないでしょうか。働き方改革が機能しなくなった一つの要因に、コロナ禍があると思っています。本来は、教職の魅力の再確認・再構築のための働き方改革だったのに、コロナ禍という非常事態が重なったため、当事者である教員による議論の機会が奪われてしまった感があります。コロナ禍の対策のほとんどは、行政主導で現場に決定権がありませんでした。

 学校はこれまで、主体的にカリキュラムを変更することがありませんでした。しかし、コロナ禍によって、初めて大幅にカリキュラム改変に動きました。そうせざるを得なかったからです。

 コロナ禍における運動会に象徴される行事の削減・縮小はなされましたが、それは教科の時数を確保するために行われたと言ってよいでしょう。学校行事、児童会・生徒会行事は、子どもたちの非認知能力の育成が期待された場でした。つまり、コロナ禍のカリキュラム・マネジメントは、子どもたちの非認知能力が育つ機会を犠牲にして教科指導の時数を確保したという性格が強いものだったのです。「文化祭を中止した」「運動会を半日にした」など「変えた」ことは話題になりましたが、変わった結果が子どもたちの発達にどのような影響を及ぼしたかは検証されていません。

 私たちが「つながり」を感じる上で、人との交流が重要な要因となりますが、そこには役割の交流だけでなく感情の交流が必要です。行事を通じ、自分の役割を越えて喜びや感動を共有することで、子どもは他者を承認したり自分への肯定的な感情を高めたりするわけです。

 学校には本来的に2つの機能が求められています。1つは、できないことをできるようにする「ひきあげ機能」、もう1つは、人間関係の形成や葛藤の解決などの「養い機能」です。前者は子どものエネルギーを使って成長を促し、後者はエネルギーを維持・蓄積する機能です。良質な関係性は癒やしを与え、エネルギーをためる力を持ちます。

 今の学校は学力向上への関心が高く、「ひきあげ機能」に偏り過ぎているように思います。エネルギーを使わせるのならば、一方でエネルギーをためる必要があります。エネルギーを使わせてばかりいたら、疲れた子どもたちはどんどん学校から離脱します。一方で教員も、疲れた子どもたちを激務の中で指導し、エネルギーを消費するばかりです。

 この悪循環を断ち切るためにも「養い機能」に注目してカリキュラム運営をしてみてはいかがでしょうか。豊かなつながりのある学校、子どもが「明日も行きたい学校」が実現し、そこに魅力ある教員の仕事の姿が見えてくることでしょう。(おわり)

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