第2回 昭和から令和へ――「働く」「救う」「深める」へ変わる通信制高校の役割

第2回 昭和から令和へ――「働く」「救う」「深める」へ変わる通信制高校の役割
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 通信制高校の歴史を振り返ると、その役割は昭和、平成、令和と、時代ごとに大きく変化してきました。戦後間もない1947年、学校教育法の施行により、働きながら学ぶ勤労青少年のために、定時制と並んで通信制課程が設けられます。当初は一部の科目のみを通信で学び、残りは通学して学ぶ仕組みでしたが、1955年には通信だけでの卒業が可能になり、1961年には全日制・定時制と同等の課程として法的に位置付けられました。当時は昼間に工場や商店で働き、夜間や休日に手書きでレポートを作成し、郵送で提出するのが一般的でした。国語や数学、商業実務など基礎的な学びを積み重ね、卒業後の就職や資格取得を目指す生徒も多く、学び直しや自己実現の手段として社会に定着していきました。

 平成に入ると、日本全体で若年層の就労環境が変わり、勤労学生は減少します。それに伴い通信制の在籍者数も一時的に減りましたが、不登校や中退経験のある生徒のセーフティーネットとして新たな役割を担い始めます。1988年の単位制導入や通学日数の柔軟化により、毎日通えない生徒も継続的に学べる環境が整いました。これにより、多くの若者が通信制で卒業資格を得て進学や就職へと進む一方で、「仕方なく行く場所」という負のイメージが広がった時期でもありました。

 令和に入ると、通信制高校はかつての印象を大きく覆します。文部科学省の学校基本調査によれば、2024年度の在籍者は約29万人で、高校生の10.7人に1人が通信制に通っている計算になります。この10年間で在籍者数は約1.5倍に増加し、学校数も2014年度の231校から2024年度には303校へ拡大しました。背景には、学び方そのものの多様化を求める社会の動きがあります。スポーツや芸術活動に全力を注ぐため、海外の学校と二重在籍するため、あるいは起業や専門分野の探究を優先するため――それぞれの目標や生活に合わせて、柔軟な学習スタイルを選ぶ生徒が増えていきました。

 コロナ禍はそうした流れを加速させました。オンライン授業が一気に普及し、通信制は「やむを得ない選択肢」ではなく、必要不可欠な学びの形として認知されるようになりました。そして、動画教材や双方向のライブ授業、AIによる学習サポート、オンライン面談やメンター制度など、ICTを活用した新しい教育サービスが定着していきます。公立は低負担で基礎学力支援に強みを発揮し、私立は多彩な選択科目や専門分野との連携で個性を伸ばすなど、それぞれの特色も明確になってきました。

 通信制高校は、戦後の「働くための学び場」から、平成期の「救う学び場」、そして令和の「自分らしさを深める学びの場」へと進化してきました。次回は、この変化の中で通信制を選ぶ生徒像がどのように移り変わってきたのかを、データと事例をもとに掘り下げていきます。

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