ある小学校の校長から、若手教員の育成で悩みがあるという話を聞いた。若手教員の授業を見て直した方がよい点があったので授業後にアドバイスをした。その後、その若手教員は「校長から指導を受けた。退職を考えている」と同僚の教員に話をしたという。同じような話は、他の校長複数人からも聞いた。
ある校長は、「教員の成り手が少ない今、辞められたら、あの学級はどうすればいいのか。すでに教頭は病気休職中の教員の学級担任をしている。薄氷を踏む思いだ」と頭を抱えていた。「辞める」という言葉が刃のように向かってくる気がしたという。
一方、忙しい中、寸暇を惜しんで教材研究に励む若手教員もいる。授業のない時間に先輩教員の授業を見せてもらったり、反対に授業を見てもらい指導を受けたりして着実に指導力を上げ、子どもとの良好な関係も築いているという。同じ若手教員だが、時間がたつにつれ、確実に指導力の差が広がっている。
この2つのタイプの若手教員の違いは、自分を「完成された存在」として捉えているか、「学び続ける存在」として捉えているか、という自分の捉え方の違いではないか。この仮説が正しいとすれば、教員の養成、採用、研修の各段階において、教員は生涯にわたって学び続ける存在であることをふに落ちるようにしていくことが必要である。
学ぶことで自分を変えていくことは苦しみを伴うこともある。管理職は若手教員の味方だというスタンスを示しながら、若手教員に、ベテラン教員の学ぶ姿を見えるようにすることが求められる。