義務教育最後の年。子供たちは抽象的思考が育ち、自身の生い立ちを俯瞰して見つめることができる。さらには、親の背景にまで想いを馳せることもできる。それが15歳である。ここに、子供虐待に真正面から向き合う実践を置いた。
「親として、これだけはやったらあかんと思うことは?」と問うと、圧倒的に多かった答えは「産むんじゃなかったと我が子に言うこと」であった。何人の生徒が、自身の経験を重ねていたのだろうか。みんなで出し合った意見の一つ一つが「虐待」であり、厚生労働省をはじめ国レベルで取り組んでいる施策や法律、福祉資源があることを知る。同時に、それでも失われる命が後を絶たないという事実を捉える。
本実践では、2010年西区虐待死事件、2014年厚木市男児放置死事件、2018年目黒女児虐待死事件における、山梨県立大学西澤哲教授による心理鑑定内容の一部を教材として扱う。犯行は決して許されることではない。しかし、「誰かに相談すべきだった」「産んだからには責任を持つべき」と絞り出すように言葉にした生徒たちは、背景にある親の苦しさも理解しているようであった。この重苦しい時間が、どんな世の中にすべきかを真剣に話し合う力に変わる。
ある生徒が「100万罰金て言われたら殴らへん?」と真剣に聞いていた。この生徒の日常には幼い頃から暴力がある。自分の人生が授業となって戸惑い、「お前らに何が分かんねん」というような態度であった。しかし、50分の間に変容が見られた。それは、一人では背負いきれなかったこのテーマに真っ直ぐ向き合い投げ掛けてくる授業者や、苦しんでいる親子を何とかしようと真剣に話し合う友達の姿に触れたからではないだろうか。「みんなの意見が、親やこれから大人になる人にも通用したらいいと思った」。苦労してきたからこそ生み出した彼のこの言葉が、いつか誰かの力になればと願う。
「生きづらさ」は子供の責任ではない。「『生きる』教育」では、子供たちの身近にある差別や支配、暴力などを社会問題として授業の舞台にのせ、みんなで解決していく。一人で背負っている荷物を下ろし、仲間の力で孤独から解放されてほしいと願う。
深刻なテーマを授業にするに当たり、発問の一言一句に悩まれ、生徒たちの幸せを願った授業者の言葉を最後にそのまま記す。
「『人』は一人ではない、社会の中で生きている。みんなと生きている、そう思える世の中に」
指導案に魂を宿すのは、授業者である。今改めて、「授業の力」を信じる。
(おわり)