本来であれば、子どものことを考え、「このままでは、本当に勉強が分からなくなってしまいます。いいえ、既に分からなくなってきています」と言いたいところ、もう少しトーンを下げ、「苦手なところをもう少し頑張るようにすれば、すぐに分かるようになります」と、ごまかしにも似た言い方になることが多い。授業についていけていない子が、すぐに挽回できるということ自体、忖度(そんたく)に決まっている。我々教師も分かっているが、保護者との関係をギスギスしたものにしたくないのでそう言わざるを得ない。
我々教師や職員室の中には、「保護者と良い人間関係を築けない教師は不適格だ」という文化がある。管理職に担任をなじる電話があろうものなら、不適格だという意識はさらに強いものになっていく。多くの管理職も、「保護者との関係づくりを重視してください」と頻繁に訴える。
学校を経営していく上で保護者の理解や協力は不可欠である。ただ、そうした気持ちが強過ぎると、保護者に事実を伝えることを敬遠するだけでなく、「お子さん、なんて良い子なのでしょう」とひたすら称賛に徹し、表面的な関係を取り繕おうということになってしまう。子どもを置き去りにした、大人本位の考え方である。
先日、同僚と冗談めかしてこんな話をした。
「もし保護者からクレームが来たら、堂々と教育を推進している証しだとして10万円もらえるという制度ができたらどうする?」
「100回クレームをいただいて1000万円を手にします」
保護者との人間関係づくりに苦慮している若手教師の率直な意見である。要望やクレームが来ることに対し、あまりにネガティブに捉え過ぎるため、もう少し寛容に受け止めてほしいという心の叫びにも聞こえた。
もし、忖度や教師の我慢の上に成り立っている人間関係だとしたら、それはもはや関係ではない。関係とは、フラットな方向で交互に行き来するものだ。それを学校文化の中では曲解し、保護者から難しい要望やクレームが来なければ良い関係を維持できていることになってしまっている。我々教師は保護者と学校の双方から板挟みになっているのだ。そのような状況下では、真実を伝えることは難しく、保護者の耳触りの良い言葉や内容を並べる結果となってしまう。
確かに保護者との信頼関係は大切だが、それを目指すのではなく、結果としてそうなったときに、「良かった!」と振り返るべき類いのものである。ただ、現状では関係づくりという結果が目的化してしまっている。