第4回 まなざしは、どこに向かっていたのか

第4回 まなざしは、どこに向かっていたのか
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 自分のまなざしが変わる。そんなことが大切な気がしています。自分は今まで何を見ていたのか、そして今、何を見ようとしているのか。

 研修に参加することが苦手だった頃の私の視線の先にあったのは、今の自分を導いてくれるはずのスキルや事例を示してくれる何か、つまり何かしらの「答え」を与えてくれる何かでした。そして、その「何か」と自分の関係は明らかに対等ではなかったと思います。

 その「何か」は自分にはないものを全て持っていて、私はそれらをただ享受する立場でした。にもかかわらず、私は「それは違う」「これも違う」などと無秩序に批判だけしていました。そして、その矛先が自分には決して向かないように、自分がとどまっている場所から一歩も外に出ようともしませんでした。今思えば、当時は自分に向き合う勇気が全く育っていなかったのだと思います。

 一方で、研修のことを面白く思い始めた私の視線の先にあったのは、研修という場で示される、あらゆるものを分からないなりに理解しようとしたり、つまずきながらも自らの言葉で解釈しようとしたりする自分でした。こうなると、意識の矛先は自分に向かいます。研修において示される資料や講義は、自分の知識や認識を問い直す教材になりますし、研修講師の一挙手一投足は、自身が講師として参加者の前に立つ際の写し鏡になります。なぜ、その資料が気になったのか、なぜ、講師のその話をもっと聞きたいと思うのか、問われているのは、いつだって自分です。

 今になって、考えるのです。「あのとき、自分のまなざしは、どこに向かっていたのか」と。そして、今になって、こう思うのです。「正しさを探すまなざしは、問いを見つめるまなざしへと変わっていったのではないか」と。

 問いを見つめるまなざしは、正しさを探すまなざしとは異なり、分からなさといったある種の不安定さの中にとどまり続ける姿勢を含んでいます。その状況は、常に揺らぐ自分の存在そのものであるような気もします。その揺らぎの中では、不安や孤独を感じることもあるのですが、その中でこそ感じられる気付きが、きっとあるのだと思います。

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